金曜日, 12月 09, 2005

誰も「人生を理解して欲しい」などと期待はしない。なんとものわかりの悪い、という怒りこそ持ちすれ、それが可能であるという幻想を抱いている大人はいない。ある行動に対し、賛成するか、反対するか中立であるかのどれかである。義務だけ強制するなら、論理的に、その義務の必要のないことを主張する。その義務を行っている人間の特徴をあげつらってもいいが、それが動物的という言葉で理解できないようなら、また別の表現方法を探さねばならない。

理解を前提とする社会をコンセンサス社会という。

支援が得られなければ、やりにくいことは、プログラミングでも同様である。くだらぬことの集積が、ばかげたことへの時間つぶしとなってやる気をそぐ。クラスの使い方という情報は、解析するべき問題でもない。さらに、いわゆる権威主義が、「本質を見失わせる」ことのいまだに顕著なことは、驚きに値する。

民主主義を信じている人間がいる、と思いたいときもある。このごろとみにそう思う。信頼なくしては成り立たない制度である。しかし、新聞で話題になるのは、首相の人柄らしく、それは人気を示すものとはいえ、このような期待とは関係がない。民主党の人でも、考え方が合えば歓迎すると述べたらしい。寄せ集めの民主党の方針が一定していないことを皮肉っているとも取れるが、どちらかというと、「歓迎されたい」という心理を利用したものととれる。日本の有権者が優遇されているとはまったく思えない。演説リレーどころか、政治家同士の話し合いのニュースばかりである。

党内政治のニュースが入ると、「人の気も知らないで」と思う。もちろん、間接的な投票権しかないからである。

政治家のために選挙をしてやっているわけではない。意見を通すための選挙である。一票の格差は、市町村レベルでも問題になっているという。

一票の格差を考える会
48小選挙区で格差2倍以上 参院、最大5倍超える
48小選挙区で格差2倍以上 参院、最大5倍超える
「1票の格差」、2倍以上48小選挙区に増加

It's ridiculous that the elected government are doing things like the bureaucrats. They should look like they've won the majority of our votes.