月曜日, 12月 27, 2004

「フグ毒はナトリウムチャンネルの開口部に特異的に結合し,細胞外からのナトリウムイオンの流入を阻止することで神経の刺激伝達を停止し,」「しびれ,麻痺,痙攣が起こり,最悪の場合は呼吸困難」
tetrodotoxin < Tetraodontidae(フグ科)

土曜日, 12月 11, 2004

悪意ある人間の声を、集団の力で聞かせると、人間が卑屈、卑小となる。

火曜日, 12月 07, 2004

パチンコ店のチラシにある、アニメのグラマーな女性キャラがなぜか登場し、天から「バカみたい」という女性の声が降ってくるという悪夢を見た。バックグラウンド・ミュージックは、拡声器でながれる日本の民謡である。

知性を否定することが、ポップカルチャーの定義ではないが(simply keep it stupidなる定義がネットにあった)、「話し合いでは解決しない」「会社員には教育は建前にもいらない」「健康、普通、宗教、冗談と言えば、セクハラがそうでなくなる」など、その要素のひとつである。

日曜日, 11月 28, 2004

貧しい国ほど、特にインド文化圏で、識字率の男女格差が大きい(これは、実際のデータに基づいた傾向である)。
有料であって、そうでなくてよいものを探し、「パクれる」ソフトをつくる。パブリックドメインに公表し、消費者がのってきたところで、シェアウエア化する。それは、はじめから作るより、プロの作ったやつを使えるほうが、流行るに決まっている。また、作っているプロなる連中が、経営に疎く、まともな戦略方法をとらないから、出し抜かれる。

下らぬことにこだわり、苦労してインプリメントしたあげく、できあがりが汎用性のないものとなり、しかも新しい技術で意味がなくなってしまう。やはり、亜流となってはならない。

木曜日, 11月 25, 2004

朝日に、IT記事が載ると、ビギナー記事であることも多いが、そうでないときは、「コンピュータ・コンプレックス」、コンピュータをマイクロソフトに置き換えて非難するのである。なにも、マイクロソフトが、コンピュータを代表しているわけではない。Linuxのシェアが増えたとか、UnixからMacに乗り換えたとか、いう記事が並ぶが、Macを使おうと、Linuxを使おうと、Windowsを使わなくとも、彼らの言う「コンピュータの弊害」「インターネットの恐怖」はなくなるわけではない。

月曜日, 11月 22, 2004

女性の権利が弱く、テレビなどで家庭と女性と結び付けられることが多い国で(つまり、男性との関連で女性が語られることの多いときに)、女性を男性の対象扱いにするサイトの規制がないと、女性の人権が保護されない。はっきりいって、うんざりである、この女性がある男性の目にどう映るか、などという台詞を始終繰り返されるのは。

土曜日, 11月 20, 2004

たとえば、文章が人を表すように、プログラムは思考を表す。人によって違うし、そのよさも、基準も、ガイドラインとして示すことはできても、それ以上の判断は控えるべきである。意味がないし、それは、その判断した人間の思考をしか示さない。プログラムを読んで、たとえば、「構造がフラットで、意味的なまとまりをまったく考えていない、OOPを知らない」「GUIを使いきれていない」とか言うことはできても、「このプログラムは、社会から抹殺すべきだ」とはいえない。

水曜日, 10月 13, 2004

イメージを繰り返し見せると、それを視聴者のせいにできるという、プロデューサーの手法がある。番組決定権は、しかし、資金源である広告したい会社の手に有る。

ハラスメントは、権力のありかを示すだけである。強い連中が権力を振るい、美を決定し、嫌がらせを含めて支配をいきわたらせる。
「男性側の好意は貴重なものである」なる誤解は、「それは、その男性と、それを支援する男性にとって貴重なものである」という認識が、男性社会には希薄である。なれなれしさは、フレンドリーであることとは異なる。そして、兄弟でもない人間が、そのような立場を強調してくれば、これは必ず欺瞞である。常に、「王は、父のように」権力を振るうものだからである。

日曜日, 10月 10, 2004

外見など見栄の「成果」は、やはり「目的」がはっきりしていないと意味がない。金があることを示したいのか。スーパーの味方だといいたいのか。百貨店に通う世代の人間だと言いたいのか。もちろん、他人の「目的」には干渉しないのが、筋である。干渉するなら、個人の生活ではなく、筋の通った「税金の使い道」にすべきである。

目的のはっきりしない「成果」は、慣習でしかない。「税金の無駄遣い」は、納税者に認めてもらう、ということが目的でない、ということが原因である。

土曜日, 10月 09, 2004

キリストは噛みはしないが、キリスト教徒でも殺戮ぐらいは行うし、人身売買、奴隷売買など行っていた歴史がある。
もし、ある人間が、天皇の性質について述べ始めれば、その意図は明らかである。それは、人間の本質についての考察であるよりも、天皇の支配についての言及である。

金曜日, 10月 08, 2004

桑原武夫の解説(*)に、ジャックロンドンの「野生の呼び声」を「隔世遺伝をあつかった動物小説」などというのがある(笑)。さらに、「白い牙」を「飼いならされた野犬の物語」などと書いている。小説も、面白いと思う人間にしか意味はない。(*)岩波小事典、西洋文学第二版
首都圏 通勤時間の統計

木曜日, 10月 07, 2004

道端での立ち話、会社の食堂での会話、酒屋でのくだらぬ話題、そんな形式の会話を「明るい」からといって強制するのは、まったくばかげている。
メロドラマは、見て面白いと思う人間にしか意味はない。だから、共有すべきではない。
セクハラ画像を見せたら、性犯罪である、という意識が希薄な人間は、そのもたらす結果においての認識が希薄である。
(技術的な)興味で、個人の権利、プライバシーが侵害されてよいはずがない。
プログラマによって、アルゴリズムは異なる。記述法も、変数名も、異なる。すべて書き換えれば、それは簡単である。もっとも安易な方法である。しかし、すくなくとも、そのような安易な方法をとったときには、「この書き方は、自分のスタイルでない」ということを意識し、他のプログラマに迷惑な「スタイルの押し付け」などを強行すべきではない。

日本語のてにおはが、英語のリズムが、読む際に非常に重要な役目を果たすのと同様に、プログラムのスタイルは、それだけで、内容の理解に影響する。

すべての人間には、どのようなスタイルであろうとも、何語であろうとも、文章を書く権利があると同様に、プログラムを書く権利がある。その内容について、他人の意見を強制される必然性はない。

しかし、考えてみると、簡単に直せるバグを、あたかも(見つけることが)特権であるかのように宣伝するプログラマなどいる。もちろん、商売上の理由による。
低俗な番組を順番に流すのは、民主主義ではない。

火曜日, 10月 05, 2004

新聞のカルテルによって、朝刊だけ購読する、日曜版だけ購読する、という選択がない。暇ネタの多い夕刊をとりたくない、という選択ができないのは、新聞業界が寡占状態でだからである。

金曜日, 10月 01, 2004

Oh the glorioius war for oil
Let that protect their country
Run by oil company executives
Oh the glorioius war for oil

Let's pray for Iraqi people
Let's pray to their God

木曜日, 9月 30, 2004


省別 女性比率 管理職比率 (9月28日 日経夕刊より) Posted by Hello

水曜日, 9月 29, 2004

弱気のことを、英語でbearという。弱気な人間とは、理由があって、その原因を考えるのでなく、それとない雰囲気で、「あれはまずかったんじゃないか」と考える人間である。もちろん、その弱気に付け込む人間もいる。

月曜日, 9月 27, 2004

旧軍人・軍属、戦傷病者及び戦没者遺族等に対する援護施策体系図
「エリートにプロレスをやらせる」アメリカの番組が、日本で放映されると、反米なのかとさえ思う。しかし、アメリカのテレビ番組は、いわば日本の番組の「もと」である。我慢大会、大食い競争、隠しカメラ、手品。

土曜日, 9月 25, 2004

平成16年度における恩給費予算の総額は、1兆662億円です。
道路状態が悪いということは、環境問題とは関係がない。なにかとても誤解している人間の報道があったが、環境も保全されていなければ、道路状態も悪い、ということもありうる。

CCD (Charge Coupled Device) の発見者は、ベル研究所の George Smith と Willard Boyle
Biocompare - The Latest In Imaging Systems

金曜日, 9月 24, 2004

便利な道具、たとえば、コンピュータが、まさか「人間の脳を腐らせる」などというのは、少なくともプログラマの立場ではない。コンピュータによって、人間の能力を何倍にも生かすことができる。
C Magazine サンプル記事
精神主義のプログラマなど、冗談にしか思えないが、遅いマシンでコンパイルして苦労すると、プログラムの腕が上がる、という人間は、マゾヒストでない人間の「指導」に当たるべきではない。

バグを少しずつ訂正し、コンパイルするのは、少なくとも有効な戦略の一つである。なぜならば、そのバグの影響を確かめることができるからである。確かめる、という作業を、人間にやらせるのは、ばかげている。コンパイラにまかせるべきである。
国民と天皇が、「運命共同体」であり、天皇の権力は、国民のそれである、という名目で、個人の権利を奪った、という歴史がある。ある団体が、他の団体と「運命共同体」である、とするのは、政治的意図によるものである。「天皇を讃えることが、実は国民のためになる」論理は、政治的なイメージによる策略であるといえる。企業を讃えることは、個人のためにはならない。

ハラスメントとは、立場を利用して、嫌がらせをかけることである。たとえば、業務を遂行する際に、その人間を通さねばならないように仕向け、さらにその人間が不合理な要求をするようなことである。

火曜日, 9月 21, 2004

ガラスの壁とは、明文化されていないにもかかわらず、すべての人間がその存在を知っている、という障壁である。

木曜日, 9月 16, 2004

IEEE Computer September 2004, Volume 37, Number 9
展望
3Gを超えて:無線技術の応用
ITの実際
中国におけるVoIP
カバーストーリー
火星調査に使われた、生物関連技術
バイオロボット
調査
都市近郊聴覚警告システム
マルチモーダルな人間工学
意見
預言者としてのエンジニア
ニュース
業界トレンド
テクノロジー
その他
メンバー向けニュース
IEEE選挙候補
募集とカレンダー
IEEE選挙
コラム
Web技術:障害者向けインターネット技術の応用
ITシステム展望:スポーツに応用する技術
埋め込み技術:プロトコル処理チップを速くする
標準:標準とは
IT技術者:合理性とデジタル技術
編集部
記事要約
32&16年前
IEEEメンバーシップ申請用紙
広告インデックス
募集
本の紹介
商品の紹介

月曜日, 9月 13, 2004

他人の美意識を、ことに暴力で、恐怖によって強制させられた人間は、自由になったら、自分の暮らしをしよう、早くそのような状態になりたい、規制をかけてくる人間を排除したい、と思うものである。

日曜日, 9月 12, 2004

和名しか載せない科学記事は、英語を使う人間の便宜を考えていない。
情報提供などまったく頭の片隅にも置いていない教授が、ソフトのコードだけ、タダで提供しろなどというのは、いわゆる偽善である。遅れたIT産業をカバーするために、アメリカの技術をフリーにすることを建前にするなど、ばかげている。

土曜日, 9月 11, 2004

プログラムを書くことは、表現方法の一つである。
プログラムを書かない文化の人間の判断で、プログラムの書き方を制限するのは、あまりにもばかげている。

金曜日, 9月 10, 2004

政治問題を、社会問題にしてはならない。つまり、チェチェンでのテロ事件を、「恐怖の救出作戦」とし、生き残りが、仲間の死を語る番組は、テロ対策も、政治をも語ってはいない。軍閥割拠で、傀儡政権、独立政府が海外にいる場所で、「住民の願い」は、その社会的影響を述べねば、その論議において意味がない。そもそも、政治が機能していないところでは、民主的で建設的な意見などでてこない。「政府でも、軍閥でも、生活をそっとしておいてくれればよい」などという意見は、日本人の態度の反映であっても、このさい何らかの意味を持つとは思えない。


木曜日, 9月 09, 2004

プログラマが権威主義なんぞというのは、冗談にもならない。

低レベルなエンタメの特徴は、

  • 政治的でない
  • 優雅さを評価しない
  • 頭脳を酷使しない
  • 知識層をターゲットにしない
  • ドラマをつくりあげていない
  • 憎悪を表現していない
  • 集団の持つどうしようもない謀略のからくりを描くことをしない

などである。
「型にはめる」権力を振りかざしたいのは、既存権力によって、利益を得る人間である。集団のわがままという名目のもとに、ある個人が、ある個人の生活を破壊する、などということがあってはならない。
日本の特色は、秩序にかける、という一言に尽きる。おさまりがよい、となれば、暴力を振るって、体制にはめよう、とする彼らのやり方は、人間性を無視している。憎悪を表現するすべも見つからないような横暴が、彼らのファンシーに訴えるそのさまは、低レベルエンタメなどという表現では足りない。人間と、人間の行動の価値を下げる彼らは、単にバカだ、というだけでなく、その存在によって、裏でほくそえむ誰かの利害を代表している。

社会的に評価されている、ということが、労働にしらけさせない要因である。疑問を持たない、ということが、その重要な要素である。

火曜日, 9月 07, 2004

大学のホームページが、教授の個人サイトに化しているということは、その(まさに信じがたい)低レベルな受け狙いとともに、どうしようもない大学のITの実態を示している。論文を二つ載せているだけ、などという「教授」までいる。それが、なんと、PDFでなく、PSファイルであったことに、その環境がよく表れている。ソースコードつきで、手作りソフトを配布していることもあるが、その使いやすさ(笑)といえば、「税金の建前上(資金源は明記しないが!)、出しているが、使わないでくれ」といわんばかりである。インターネット上の存在を、実感できない彼らの神経は、新聞の記事を書く人間と大差がない。

日曜日, 9月 05, 2004

もちろん、日本人の功績を、「腐った大豆と、生魚食べて、がんばったんです」と訴える方法もあるが、日本人であることをことさらに書き立てれば、やはり、偏見を助長することとなる。ここは、同じ土俵に立ち、何を食べているかにかかわりなく、「(日本人である)研究者が貢献した」と書くべきである。

「どうしても日本人的であって、腐った大豆を好むのは仕方がない」、ということは、少なくとも強調すべきではない。「腐った大豆を好む集団が、日本にはちゃんとある」、ということは、このさい偏見をなくすことにはならない。強調する際に、どうしても付随する蔑視を悟らないようでは「無神経」である。腐った大豆は、食べない人間にとっては、醤油ではなく、あくまで腐った大豆である。

同じ意味で、性別を強調することは、偏見を助長することでしかない。「女性が」「男性が」と書けば、それは閉ざされた社会の「好奇な目」しか意味しない。要するに、「トヨタの男性社長、人員削減」と書けば、「え、男性が?」という反応を誘導することになる。それは、日本の大企業のトップに女性が少ない、ということを強調することではあっても、削減されたことによる経済効果を語るには、不適切である。

金曜日, 9月 03, 2004

日本人のなかで日本人と言っても差別ではないが、日本人であることを強調するだけで、立派に差別となるコンテキストがある。日本人でなぜいけない、という問題提起ではなく、なぜそのようなコンテキストで日本人であることを強調されねばならないのか、ということに、問題の解決を探すべきである。
性差別表現ばかり目に付いて、憂鬱である。

木曜日, 9月 02, 2004

他人の食事に干渉するのは、たとえば「日本人は大豆を腐らせた、腐ったくさい調味料を使う」というのと同程度にばかげている。「あの黒い髪をした日本人は、しかもその腐った大豆のうわずみをかけて生魚を食べる」ということが、何を意味するか、といえば、食生活の多様性しか意味しない。「驚くべきことに、なんとそれを手で食べたり、二本の棒に挟んで食べたりする」ということは、生活習慣の違いしか意味しない。

火曜日, 8月 31, 2004

美化し、評判という衣を着せ、投射も、同情も、理解もできない人間を読者にして人気を得る、シナリオライターに同情する必要はない。

日曜日, 8月 29, 2004

女性が読むかもしれない、ということを意識することは、「まじめ」であったり、「硬派」であったりすることとは、まったく関係がない。それは、単純に、読んでくれる女性を意識するかどうか、という問題である。その意味でも、失言などにかこつけた、冗談めいたセクハラは、ネットなどで書き込むべきではない。

金曜日, 8月 27, 2004

人権とは、大多数の横暴から、個人を保護するものである。

「いうことを聞かない」のは、傲慢さからくるものではないとすると、「恥の文化」による制裁措置は、意味がない。だから、権威の欠陥の指摘は、「恥をかかせる」ものであっても意味はない。
朝日も、日経も、発行部数の多さから、大衆紙であるという一面があり、それが、日本での生活レベルを下げている。しかも、全体主義を離れることがない。結果、「主体のない非難」が、社会の圧力として機能する。そこには、議論はなく、嫌がらせによって、均一化社会、マジョリティーの横暴が機能する。

日曜日, 6月 27, 2004

ひとのこころのたのみがたきを知らしめ、やる気を損なうのが日本式経営である。そのやる気のなくなった状態に、さらにばかげた文句を聞かせて、そのくだらなさをたたきこむことによって、思考を停止し、どうでもよくなった状態で、さらに能力のない人間の嗜好回路を理解させると、日本式謙虚さが身につく。その腰の低くなったところで、ようやっと日本的対人関係を成立させる。ちょうど、アメリカで言う「よい教育」の逆を行うのだと考えればよい。差別待遇によってその効果は倍増する。
「女性の夢になら口をだせる」という、まったく悲惨な男性社会が存在する。

水曜日, 6月 23, 2004

「女性がバカでないと苦労する」「ヒラがバカでないと苦労する」「若者がバカでないと苦労する」という、誤解がある。バカがよいはずがない。利害関係を考えていない。周りと違っていても、やはり、賢いほうが、生きやすい。
議論のレベルといえば、「らしさ」を決めつける人間の、議論にもならない、低レベルな宗教論争がある。「英語が、コンピュータがわからない、女性」などという統計から、「わからない女性」を「らしい」とするのは、納得がいかない。なぜならば、女性であり、英語も使えれば、コンピュータを使える人間もいるからである。「できる」ことで、「女性らしくない」ことが引け目になるようでは、「できる」人間が浮かばれない。「女性の役割は違う」「ローテクを丁寧に作ってろ」「男女で分業」などという、宗教論争は意味がない。
要するに、ケータイや、デジカメ、クルマなど日本製品は、男性集団がデザインしたものだ、その「裏」には、女性が束で犠牲になっている、という事実は、女性管理職1%という統計に表れている。

火曜日, 6月 08, 2004

世界が広ければ、さまざまな意見が出てくるが、流動性のない社会では、発想が限られる。馴れ合いに同意しない人間にしか、建設的批判はできない。だから、大学においても、「この税金泥棒が、マイナー言語教え込んで、使えない技術をどうするんだ」とか「学生を犠牲にしてなにが面白い」など、いう意見がでてこないのは、ひとえに伝統のせいである。
「実社会」「会社の論理」「大学院は社会だ」などという、くだらぬ言い訳が、レベルの低さを隠蔽するものではない。レベルが低く、目的意識が少ないために、性差別が横行しているだけのことである。論文を書くことが、実際上の大学院の目標であれば、セクハラ、などというプロットがそもそもありえない。そんなプロットで論文数が増えるわけではないからである。世界レベルでの競争であれば、いやらしい上司のねちねちした嫌がらせなどということがありえない。そんなことで製品の質が向上するわけではないからである。大学院のレベル向上が、社会全体の目標であれば、くだらないハラスメントなどということがありえない。そんなことで大学院のレベルが向上するわけではないからである。

土曜日, 6月 05, 2004

野心を持つだけで、迫害があるような環境は、健全な競争のない社会だといえる。

金曜日, 6月 04, 2004

低俗さがウリの、「大衆」の意見など、胡散臭くて話にならない。すべては権力闘争である。低俗なジョークをとばす大学教授のねらいは、いやらしい男性の存在の誇示であるよりも、大衆受けであるよりも、その低俗さで、権力の誇示である。陳腐なジョークを、まじめな風で忠告する同僚は、その浅はかさで、権力の誇示である。ねらいは、同族意識であるよりも、影響力の誇示である。

木曜日, 6月 03, 2004

とにかく、コンピュータの使えない日本人というイメージを打破せねばならない。それと同時に、プログラミングには、知能が必要だ、という常識を打ち立てねばならない。コンピュータに対する、マスコミなどの滑稽あるいは奇妙なイメージは、プログラミングのできない人間のつくりだしたものであり、権威となっている人間の、あるいはその勢力を借りた、「低レベル」なものである。

個人は、個人である。集団リンチは、個人の存在をつぶす。

水曜日, 6月 02, 2004

見ている側の感想を、集団の権力を利用などして、個人に強制してはならない。「挑発的な服装」「挑発的な行動」「挑発的な言動」「挑発的な社会的地位」は、痴漢行為を正当化しない。
彼らは、「下卑た連中だ」というのが、第一の印象であった。下劣な人間が、卑劣な手段を使って、低俗極まりない生き方を強制する。個人の性別や、その個人をめぐる環境、立場を言い訳として、さまざまな嫌がらせを、大多数の論理で強制する「政治的」な戦略は、個人のあり方を否定し、その一生をつぶす以外の効果はありえない。

日曜日, 5月 30, 2004

「理解されない悲劇」は、常に存在するが、その悲劇を恐喝に使った時点で、悲劇が、悲劇としての意味をなさなくなる。なぜならば、「理解されたい」という前提がある、という仮定が成立しなくなるからである。

土曜日, 5月 29, 2004

一方的な関係は、いわゆる「片思い」である。一方的な関係を強制することを、「セクハラ」という。一方的な関係を、ドラマにすると「性差別」となり、一方的な関係は「滑稽」であったり、「コミカル」であったり、「欺瞞」である以前に、社会の本質的な不平等を物語る。一方的な関係に、「らしさ」を強制することを、「カルト的信仰」と言い、これも「くだらない」「ばかばかしい」以前に、社会的立場の不平等を物語る。一方的な関係を示唆することは、「理解されない不幸」「尊厳の破壊」を嘆く以前に、弱い社会的立場を痛感せねばならない。

金曜日, 5月 28, 2004

「売れる技術を持つ」ということは、「伝統的で、社会的に抵抗のない、単純労働に専念する」こととは異なる。もちろん、社会的に認められねば「売れる」技術とはならない。しかし、それは単純労働に甘んじる人間を美化するものではない。誰でもできる労働を、さまざまな特権を利用した報酬を得ることで、「自分にはここにいる権利があるが、他人からなぜかその権利を剥奪することができる」という、いわゆるムラ社会を形成することは、よいことではない。
「義務」「必要」をつくりあげて、それを押し付けることは、それなりの根拠がいる。それが、伝統、つまり「親の生活」であった場合、それに対する反論は、当然、「私ならそのような生活はしない」であり、「義務ではない」、「必要ではない」である。特に女性の、義務でも、必要でもない伝統的な単純労働作業、そしてその価値観が、馴れ合い社会に都合がよい、ということは、「義務」や「必要」を導いたりしない。

木曜日, 5月 27, 2004

フィクションは、虚構として書かれているとき、もっとも質が低い。「読者をばかにしている」ともいう。もちろん、作家は、卑下することにより、読者の賛同を得ようとするが、馴れ合いが前提であれば、それ以外の人間には「おもしろい」はずがない。

シットコムなど、そのようなドラマにおいて、伝統的な役割、しかも男性にこびへつらう女性が、生活上の、苦難ともいえない、くだらぬ悩みを、なぜか解決する糸口として、やはりくだらぬ男性を巻き込み、最後は、やはり伝統的な生活を送るアホが世の中を制覇する、というパターンは、稼ぐ能力を得ようとする努力を知らぬげに、女性に対する固定観念は、働く女性の足を引っ張る以外の意味をもたない。

土曜日, 2月 07, 2004

The unilateral actions taken by the United States government, is symbolized in Hollywood movies where the monolingual Americans complaining to bilingual person "What the hell are they talking about? I do not understand a shit. What have you been doing studying this nonsense?" It symbolizes the unequal relationship between the monolingual citizens and the people in the other countries. Those who speak the language are always depicted as the 'friends' or at times, enemies. The hostile attitude toward bilingual person including the way they tease and the way they 'lead' the person, is exactly how they look at 'the rest of the world'.

They certainly do not have the right to force those movies.

Japanese government -- the follower -- does not have the right to force that on Japanese people.
Privacy (in Japanese)