木曜日, 9月 30, 2004


省別 女性比率 管理職比率 (9月28日 日経夕刊より) Posted by Hello

水曜日, 9月 29, 2004

弱気のことを、英語でbearという。弱気な人間とは、理由があって、その原因を考えるのでなく、それとない雰囲気で、「あれはまずかったんじゃないか」と考える人間である。もちろん、その弱気に付け込む人間もいる。

月曜日, 9月 27, 2004

旧軍人・軍属、戦傷病者及び戦没者遺族等に対する援護施策体系図
「エリートにプロレスをやらせる」アメリカの番組が、日本で放映されると、反米なのかとさえ思う。しかし、アメリカのテレビ番組は、いわば日本の番組の「もと」である。我慢大会、大食い競争、隠しカメラ、手品。

土曜日, 9月 25, 2004

平成16年度における恩給費予算の総額は、1兆662億円です。
道路状態が悪いということは、環境問題とは関係がない。なにかとても誤解している人間の報道があったが、環境も保全されていなければ、道路状態も悪い、ということもありうる。

CCD (Charge Coupled Device) の発見者は、ベル研究所の George Smith と Willard Boyle
Biocompare - The Latest In Imaging Systems

金曜日, 9月 24, 2004

便利な道具、たとえば、コンピュータが、まさか「人間の脳を腐らせる」などというのは、少なくともプログラマの立場ではない。コンピュータによって、人間の能力を何倍にも生かすことができる。
C Magazine サンプル記事
精神主義のプログラマなど、冗談にしか思えないが、遅いマシンでコンパイルして苦労すると、プログラムの腕が上がる、という人間は、マゾヒストでない人間の「指導」に当たるべきではない。

バグを少しずつ訂正し、コンパイルするのは、少なくとも有効な戦略の一つである。なぜならば、そのバグの影響を確かめることができるからである。確かめる、という作業を、人間にやらせるのは、ばかげている。コンパイラにまかせるべきである。
国民と天皇が、「運命共同体」であり、天皇の権力は、国民のそれである、という名目で、個人の権利を奪った、という歴史がある。ある団体が、他の団体と「運命共同体」である、とするのは、政治的意図によるものである。「天皇を讃えることが、実は国民のためになる」論理は、政治的なイメージによる策略であるといえる。企業を讃えることは、個人のためにはならない。

ハラスメントとは、立場を利用して、嫌がらせをかけることである。たとえば、業務を遂行する際に、その人間を通さねばならないように仕向け、さらにその人間が不合理な要求をするようなことである。

火曜日, 9月 21, 2004

ガラスの壁とは、明文化されていないにもかかわらず、すべての人間がその存在を知っている、という障壁である。

木曜日, 9月 16, 2004

IEEE Computer September 2004, Volume 37, Number 9
展望
3Gを超えて:無線技術の応用
ITの実際
中国におけるVoIP
カバーストーリー
火星調査に使われた、生物関連技術
バイオロボット
調査
都市近郊聴覚警告システム
マルチモーダルな人間工学
意見
預言者としてのエンジニア
ニュース
業界トレンド
テクノロジー
その他
メンバー向けニュース
IEEE選挙候補
募集とカレンダー
IEEE選挙
コラム
Web技術:障害者向けインターネット技術の応用
ITシステム展望:スポーツに応用する技術
埋め込み技術:プロトコル処理チップを速くする
標準:標準とは
IT技術者:合理性とデジタル技術
編集部
記事要約
32&16年前
IEEEメンバーシップ申請用紙
広告インデックス
募集
本の紹介
商品の紹介

月曜日, 9月 13, 2004

他人の美意識を、ことに暴力で、恐怖によって強制させられた人間は、自由になったら、自分の暮らしをしよう、早くそのような状態になりたい、規制をかけてくる人間を排除したい、と思うものである。

日曜日, 9月 12, 2004

和名しか載せない科学記事は、英語を使う人間の便宜を考えていない。
情報提供などまったく頭の片隅にも置いていない教授が、ソフトのコードだけ、タダで提供しろなどというのは、いわゆる偽善である。遅れたIT産業をカバーするために、アメリカの技術をフリーにすることを建前にするなど、ばかげている。

土曜日, 9月 11, 2004

プログラムを書くことは、表現方法の一つである。
プログラムを書かない文化の人間の判断で、プログラムの書き方を制限するのは、あまりにもばかげている。

金曜日, 9月 10, 2004

政治問題を、社会問題にしてはならない。つまり、チェチェンでのテロ事件を、「恐怖の救出作戦」とし、生き残りが、仲間の死を語る番組は、テロ対策も、政治をも語ってはいない。軍閥割拠で、傀儡政権、独立政府が海外にいる場所で、「住民の願い」は、その社会的影響を述べねば、その論議において意味がない。そもそも、政治が機能していないところでは、民主的で建設的な意見などでてこない。「政府でも、軍閥でも、生活をそっとしておいてくれればよい」などという意見は、日本人の態度の反映であっても、このさい何らかの意味を持つとは思えない。


木曜日, 9月 09, 2004

プログラマが権威主義なんぞというのは、冗談にもならない。

低レベルなエンタメの特徴は、

  • 政治的でない
  • 優雅さを評価しない
  • 頭脳を酷使しない
  • 知識層をターゲットにしない
  • ドラマをつくりあげていない
  • 憎悪を表現していない
  • 集団の持つどうしようもない謀略のからくりを描くことをしない

などである。
「型にはめる」権力を振りかざしたいのは、既存権力によって、利益を得る人間である。集団のわがままという名目のもとに、ある個人が、ある個人の生活を破壊する、などということがあってはならない。
日本の特色は、秩序にかける、という一言に尽きる。おさまりがよい、となれば、暴力を振るって、体制にはめよう、とする彼らのやり方は、人間性を無視している。憎悪を表現するすべも見つからないような横暴が、彼らのファンシーに訴えるそのさまは、低レベルエンタメなどという表現では足りない。人間と、人間の行動の価値を下げる彼らは、単にバカだ、というだけでなく、その存在によって、裏でほくそえむ誰かの利害を代表している。

社会的に評価されている、ということが、労働にしらけさせない要因である。疑問を持たない、ということが、その重要な要素である。

火曜日, 9月 07, 2004

大学のホームページが、教授の個人サイトに化しているということは、その(まさに信じがたい)低レベルな受け狙いとともに、どうしようもない大学のITの実態を示している。論文を二つ載せているだけ、などという「教授」までいる。それが、なんと、PDFでなく、PSファイルであったことに、その環境がよく表れている。ソースコードつきで、手作りソフトを配布していることもあるが、その使いやすさ(笑)といえば、「税金の建前上(資金源は明記しないが!)、出しているが、使わないでくれ」といわんばかりである。インターネット上の存在を、実感できない彼らの神経は、新聞の記事を書く人間と大差がない。

日曜日, 9月 05, 2004

もちろん、日本人の功績を、「腐った大豆と、生魚食べて、がんばったんです」と訴える方法もあるが、日本人であることをことさらに書き立てれば、やはり、偏見を助長することとなる。ここは、同じ土俵に立ち、何を食べているかにかかわりなく、「(日本人である)研究者が貢献した」と書くべきである。

「どうしても日本人的であって、腐った大豆を好むのは仕方がない」、ということは、少なくとも強調すべきではない。「腐った大豆を好む集団が、日本にはちゃんとある」、ということは、このさい偏見をなくすことにはならない。強調する際に、どうしても付随する蔑視を悟らないようでは「無神経」である。腐った大豆は、食べない人間にとっては、醤油ではなく、あくまで腐った大豆である。

同じ意味で、性別を強調することは、偏見を助長することでしかない。「女性が」「男性が」と書けば、それは閉ざされた社会の「好奇な目」しか意味しない。要するに、「トヨタの男性社長、人員削減」と書けば、「え、男性が?」という反応を誘導することになる。それは、日本の大企業のトップに女性が少ない、ということを強調することではあっても、削減されたことによる経済効果を語るには、不適切である。

金曜日, 9月 03, 2004

日本人のなかで日本人と言っても差別ではないが、日本人であることを強調するだけで、立派に差別となるコンテキストがある。日本人でなぜいけない、という問題提起ではなく、なぜそのようなコンテキストで日本人であることを強調されねばならないのか、ということに、問題の解決を探すべきである。
性差別表現ばかり目に付いて、憂鬱である。

木曜日, 9月 02, 2004

他人の食事に干渉するのは、たとえば「日本人は大豆を腐らせた、腐ったくさい調味料を使う」というのと同程度にばかげている。「あの黒い髪をした日本人は、しかもその腐った大豆のうわずみをかけて生魚を食べる」ということが、何を意味するか、といえば、食生活の多様性しか意味しない。「驚くべきことに、なんとそれを手で食べたり、二本の棒に挟んで食べたりする」ということは、生活習慣の違いしか意味しない。