水曜日, 10月 13, 2004

イメージを繰り返し見せると、それを視聴者のせいにできるという、プロデューサーの手法がある。番組決定権は、しかし、資金源である広告したい会社の手に有る。

ハラスメントは、権力のありかを示すだけである。強い連中が権力を振るい、美を決定し、嫌がらせを含めて支配をいきわたらせる。
「男性側の好意は貴重なものである」なる誤解は、「それは、その男性と、それを支援する男性にとって貴重なものである」という認識が、男性社会には希薄である。なれなれしさは、フレンドリーであることとは異なる。そして、兄弟でもない人間が、そのような立場を強調してくれば、これは必ず欺瞞である。常に、「王は、父のように」権力を振るうものだからである。

日曜日, 10月 10, 2004

外見など見栄の「成果」は、やはり「目的」がはっきりしていないと意味がない。金があることを示したいのか。スーパーの味方だといいたいのか。百貨店に通う世代の人間だと言いたいのか。もちろん、他人の「目的」には干渉しないのが、筋である。干渉するなら、個人の生活ではなく、筋の通った「税金の使い道」にすべきである。

目的のはっきりしない「成果」は、慣習でしかない。「税金の無駄遣い」は、納税者に認めてもらう、ということが目的でない、ということが原因である。

土曜日, 10月 09, 2004

キリストは噛みはしないが、キリスト教徒でも殺戮ぐらいは行うし、人身売買、奴隷売買など行っていた歴史がある。
もし、ある人間が、天皇の性質について述べ始めれば、その意図は明らかである。それは、人間の本質についての考察であるよりも、天皇の支配についての言及である。

金曜日, 10月 08, 2004

桑原武夫の解説(*)に、ジャックロンドンの「野生の呼び声」を「隔世遺伝をあつかった動物小説」などというのがある(笑)。さらに、「白い牙」を「飼いならされた野犬の物語」などと書いている。小説も、面白いと思う人間にしか意味はない。(*)岩波小事典、西洋文学第二版
首都圏 通勤時間の統計

木曜日, 10月 07, 2004

道端での立ち話、会社の食堂での会話、酒屋でのくだらぬ話題、そんな形式の会話を「明るい」からといって強制するのは、まったくばかげている。
メロドラマは、見て面白いと思う人間にしか意味はない。だから、共有すべきではない。
セクハラ画像を見せたら、性犯罪である、という意識が希薄な人間は、そのもたらす結果においての認識が希薄である。
(技術的な)興味で、個人の権利、プライバシーが侵害されてよいはずがない。
プログラマによって、アルゴリズムは異なる。記述法も、変数名も、異なる。すべて書き換えれば、それは簡単である。もっとも安易な方法である。しかし、すくなくとも、そのような安易な方法をとったときには、「この書き方は、自分のスタイルでない」ということを意識し、他のプログラマに迷惑な「スタイルの押し付け」などを強行すべきではない。

日本語のてにおはが、英語のリズムが、読む際に非常に重要な役目を果たすのと同様に、プログラムのスタイルは、それだけで、内容の理解に影響する。

すべての人間には、どのようなスタイルであろうとも、何語であろうとも、文章を書く権利があると同様に、プログラムを書く権利がある。その内容について、他人の意見を強制される必然性はない。

しかし、考えてみると、簡単に直せるバグを、あたかも(見つけることが)特権であるかのように宣伝するプログラマなどいる。もちろん、商売上の理由による。
低俗な番組を順番に流すのは、民主主義ではない。

火曜日, 10月 05, 2004

新聞のカルテルによって、朝刊だけ購読する、日曜版だけ購読する、という選択がない。暇ネタの多い夕刊をとりたくない、という選択ができないのは、新聞業界が寡占状態でだからである。

金曜日, 10月 01, 2004

Oh the glorioius war for oil
Let that protect their country
Run by oil company executives
Oh the glorioius war for oil

Let's pray for Iraqi people
Let's pray to their God