火曜日, 6月 08, 2004

世界が広ければ、さまざまな意見が出てくるが、流動性のない社会では、発想が限られる。馴れ合いに同意しない人間にしか、建設的批判はできない。だから、大学においても、「この税金泥棒が、マイナー言語教え込んで、使えない技術をどうするんだ」とか「学生を犠牲にしてなにが面白い」など、いう意見がでてこないのは、ひとえに伝統のせいである。