水曜日, 8月 31, 2005

かづさアカデミアパークでは、Knoppix研究所ほどでないにせよ、多額の資金を投入して、東大や千葉大などの協力によって、DNAの「解析」(単純にシーケンサーにかけるだけ)を行っている。さあ、この程度の解析機械を保有する研究機関が、いったい世界にはどれだけあるでしょうか。お役所仕事とはこういうものである。

日本の大学ではなく、マイクロソフトが、Googleが開発すれば、その技術が、世界標準となる。そして、それらの大手ソフトメーカーは、どこかの大学でちょこちょこと「改良」した、何とか言語の新しい試みなどというお遊び、新しいプログラミングの方法論などというゴタクをまともにビジネスに使うなどということはしない。ましてや、数学に毛の生えたような、新しい記号論理の世界など、誰にも用はない。終身雇用・年功序列・性差別を具現化した日本の大学は、企業に学生を紹介することで、税金そして学費、企業からの献金をせしめる、中世的ギルドである。ギルドは、教授の数を制限することでその利権を保つ。

しかし、よく考えてみると、日本の大学に教授法というものは、そもそも存在しない。あれは、教えているのではなく、ギルドを組んで、終身雇用なだけである。まず、職業についての考え方に対する教育がない。これだけで、かなり「能率」「教育の意味」が異なってくる。さらに言えることは、意見を持つことに対する「教育」がある。大学以外ではどこも使っていないプログラミング言語やOSで、レベルの低い練習問題を、しかもまったく質の低いチュートリアルをなんと翻訳でワークブックとして、そして、分かりにくいのは学生のせいにするのは、教育学的によくない。