月曜日, 8月 22, 2005

(地位、給料なぞなくとも)プログラマは、企業の利益のために存在し、ユーザーの人生は、技術の発展を補助する(権威に金を出す)ためにある、という固い信念をいだく、「学生使い放題」(雑用・院生によるテキスト打ち込みその他)の世界には、少なくとも「プログラムを使っていただく」程度の認識がされるまでかかわるべきではない。

日本の大学によいところはなにもないが、そこに巣くう終身雇用には、もっとよいところがない。指導だってできない。もっとも、実社会の、超安定カルテル社会と、馴れ合っているから存在する無駄な組織である。質問1:(日本の)大学で身につけた技能はあるか 質問2:すばらしい(あるいはまともな)教授がいたか 質問3:役に立ったのはコネだけではないのか 質問4:アカハラめいた脅しはなかったか(性差別を含めて)

どのメディアでも、大学は最低だ、という線で行くと、視聴者が同意するという展開が面白い。なにも役に立たなかった(うん、うん)、ろくな教授がいなかった(そうそう)、就職のとき書かなくちゃいけないけど(そうなんだよね)、イヤなヤツもいたし(やっぱり?)もとはといえば、サラリーマンの休日が短く、人間らしい生活ができないため、必要悪としての大学とされている。

大学法人化してのニュースがないが、おおよそ利権を離さない連中が多いのだろうと思われる。

もし、(日本の教授に)うるさく言われていやになった学生がいるとすれば、次のように「比較」してやればいい。

Googleを出したスタンフォードは、各大学の夢となっている。そんな人間を**教授が指導できるかって。UMassの教育・指導は世界一である。**教授のやりかたなんて児戯に等しい。エソテリックな魅力をほこるMITや、世界の思想をリードするハーバードの人間は、世界で、考えうる限りで最高の頭脳が集まっている。まさか**教授のいやがらせは、世界をリードする思想ぢゃないし。

身に着けた「技能」とは、その技術を持ち合わせる、それについて語ることができる、それに対しての知識がある、そのことについて調べることができる、ことを意味する。さらに、その技術を「使える」「できる」という自信も、非常に重要である。日本の大学は、そのどれをも提供しない。