水曜日, 5月 11, 2005

以下は中国中学校歴史教科書のチベット侵略の記述である。

「人民解放軍はチベットに進軍した。それと同時に中央人民政府はチベットの地方政府に、代表を北京に派遣し、チベットを平和的に開放する問題について交渉するよう通知した。しかし、チベットの上層反動子は帝国主義者と結託し、チベットの平和開放を拒否し、昌都(チャムド)にチベット軍主力を配置し、人民解放軍の進軍に抵抗した。1950年10月、人民解放軍は蜂起したチベット軍の協力のもと、チャムドを開放し、チベット反動勢力に大きな打撃を与えた。翌年4月、チベット地方政府はアペイ=アワンジンメイをリーダーとする代表団を派遣し、北京で中央人民政府の任命した李維漢をリーダーとする中央代表団と交渉を進めた。二十余日の協議を経て、チベットの平和開放に関する合意がなされ、5月に北京で正式に調印された。チベットは平和開放された。」(世界の教科書シリーズ「中国の歴史」中国中学校歴史教科書 p. 1115)