日曜日, 9月 04, 2005

郵便局が民営化したら、駐車場を大きくし、営業時間を延ばし、速達のカーボンコピーを廃止し、旅行・滞在先で使える私書箱を設置し、プリントアウトサービスを提供し、切手をシールにしてほしい、といったような要望は、必ずあると思うが、新聞に載らない(自民党よりも、郵政民営化法案が優勢だと書いて欲しい)。

信仰を強制できないのと同様に、労働を強制することもできない。国民の利益になるかどうか、またどれだけ利益になるか、は、公務員・官僚が決めることのできるものではないからである。売り上げが伸びる、などのインセンティブの意味を個人が判断していかない限り、自主的な改革は行われない。サービス・製品の向上を、官僚組織内での評価で判断するべきではない。社会主義における、すべての人間が弾劾しあう社会は、停滞をしかもたらさない。

宗教論争とは、客観性のある基準がありえない出来事についての論争である。「啓蒙」することで、その「誤解」を解くことは、多くの場合に無益である。夢を抱いている人間の幻想を解くことは、それが意味のあることである、という確証がいる。しかし、「時代」の要素を強調することは、この硬直化した社会において、ある程度の意味を持つ。前時代によいとされたものは、疑いを持って検証すべきである。それが、人権侵害であったり、差別であったりすることも多い。官僚制度、それに結託した巨大な独占・外郭団体、等の要素は、現代の社会において弊害が多い。