民主党は、自民党の提案する改憲法案に対し、対案を提出したという。
→ 民主、国民投票法案の新対案を提出 (2007-5-8)
→ 国民投票法案の対案提出=民主 (2007-5-8)
→ 更なる議論求め、2点の追加条項盛り込み参議院に国民投票法案を提出 (2007-5-8)
→ 民主、国民投票法案で独自案を参院に提出 (2007-5-9)
→ 国民投票法「与党案は議論反映せず」 参院憲法特別委で民主が批判 (2007-5-9)
→ 与党案は議論反映せず 参院憲法特別委で民主批判 (2007-5-9)
→ 改憲手続き法案で緊急のお願い~民主党へFAXを (2007-5-10)
参議院では、国民投票をなぜか改憲に限るのはおかしい、という指摘に対し、なぜ自民党など選んだのか、大臣が「選ばれたので」改憲すると発言している。しかし、国民は、自民党に憲法を改正させるために、自民党に全権委任したわけではないことを指摘したい。
ある独裁者・集団が、突然善政をひくだろうとするのは、いわゆる「全権委任」という。ナチス政権下のドイツは、ヒトラーに、全権委任したという。ウゴ・チャベスは、議会の承認なしにチャベスの出す法案を通すという同様の法律を設定している。
なぜ政治に議論が必要なのか、まさにそれが民主主義の語る内容である。すべての法案は、議論の末、国会の承認で成立する。法案に関する議論を知ることで、何が論議されているかを知ることができる。
だから、民主主義とは、ある個人の正義を他人が、大多数がどうとるか、ということを認識する過程に他ならない。
しかし、政治は、世論そのものではなく、議会代表制であることは、あたりまえとはいえ、「世論に疎い政治は民主主義ではない」という認識を要請するものである。
万年与党の一党独裁で、国民投票に最低投票率を設定しない情報統制下の国ではあるが、いちおう参議院選がある。選挙で、いまの首相は選ばれていない。地すべり的に、党内で決めた首相である。右よりのリーダーシップは、選挙に反映させるべきである。
だから、死刑廃止を国民投票にかける。なんかの拍子に、行った人間に賛成が多ければいい。「人為的に人殺しをしていいのか」