技術上の困難が、ソースを公開することで、「人々の善意」によって解決するかもしれないというのは、いわゆる希望的観測である。
税金を貢げば、公務員がより効率的に使ってくれるかもしれないという希望的観測は、欺瞞というべきである。
精神論はいただけない。誰がどのように書いてもプログラムは動く。だからこそここまで普及している。仕事の大半は、ごく日常的な動作で占められるのは、人間の生活と同じである。ダイアログを立ち上げてボタンをつけ、状態をチェックして動作を処理し、表示する。これだけで、どんなにか表現力が異なることか、そして、これだけを「さらっとした文体で」書き上げることが、いかに快適なプログラマの人生を送ることができるかにかかっている。
決まった形式にしたがって、創意工夫によって、それぞれ選んだ方式でプログラマは書き上げていく。文章形式の選択と同様に、選択に、書き方に干渉する人間には、反論すべきである。