土曜日, 4月 01, 2006

ヤフ-・オークションで、書籍を購入することができる。「基礎ペルシア語」という本がある。オークションであると、数分の一の値段で落札できる。

なんでもカタカナにすると、やさしくなる、という教育学上の誤謬がある。ディス・イズ・ア・ペンの類いである。これで別の文を生成して、通じるわけがない。さらに、言葉の学習上でもっともやってはいけないのは、文法の練習と称して、例文を書き換えることである。文化も、言葉の一部だからである。

覚えやすいからといって、日本語の直訳をペルシア語にした場合、その言葉を別の意味で認識するようになる。英語で言えば、教科書に権威のない文化において、テキストという訳語を覚えるようなものである。いくら日本人の生活から遠くとも、「おこげ」という単語がペルシア語にあれば、よく使う単語として認識すべきである。ことに、書いた日本人著者の生活が仄見えるような例文を載せた教科書は、日本文化の学習用としかいいようがない。

なんのために言葉を学習するのか、というと、この著者の場合は、講師として金を儲けるためである。適当に文法事項を区切って材料とし、日本人向けに例文をいくつか作成して提示し、あとはテストと称して言葉のゲームで生徒を遊ばせる。こんなことのために言葉を学習するわけではない。文化を知るためである。