土曜日, 4月 22, 2006

日本という地域名が、その他の地域を差別する際に使われるのと同様に、イスラム社会にも、イスラム社会と、非イスラム社会とを差別する言葉がある。面白いことに、戦闘的なイスラム社会を「平安の家」dār al-islām دار الإسلامといい、そうでない非イスラム社会を「戦争の家」dār al-harb دار الحربという。そして、この差別を克服しようという動きももちろんある。「安全の家」dār al-amn دار الأمن 、あるいは「証言の家」dār al-shahāda دار الشهادةという。イスラム社会でなくとも、イスラム教を実践できるようにするためである。マホメット以前の社会を「招待の家」dār al-da'wa دار الدعوةという。「不信人者の家」dār al-kufr دار الكفر、「平和協定の家」dār al-'ahd دار العهدというのもある。

イスラームに、仏陀をどう思うか、と聞かれたら、仏陀は、預言者の一人だと答えればいい、というのがあった。イスラムが平安と繰り返すのは、平安でないからだという。

Dar al-Islam
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「侵略者の腕切り落とす」軍事パレードでイラン大統領

イラン、秘密施設で第2の濃縮計画?…関係者が懸念
イラン、核闇市場から高性能機材?…カーン博士再尋問

イランが核攻撃を仕掛けないように、各国が協力している。イランの核開発を考えない人間は、核開発をゲームのように考えているといえる。北朝鮮の核には反応するが、イランの核開発には対処しない、では「筋が通らない」。日本は先進国なのか。節約・経済・商売繁盛