火曜日, 12月 13, 2005

神社を、あるいは参拝を非難するのは、まったく無意味である。現在無意味であるばかりでなく、歴史的にも意味がない。神道は、決して戦争を導くような宗教的教義を持っているものではなく、神道が国教となった際にも、参拝が暴力を導くようなものであったわけではない。神社の団体が、政治的に動いたことで、戦争になったわけではない。死者の霊魂の、国のために戦うことへの気持ちを静めるための、信仰であり、それよりも、より儀式である。戦争への責任は、むしろ神社のような宗教団体ではなく、軍部の独走、そしてマスコミの馴れ合いにあると考えるべきである。

小泉首相、中国首相・韓国大統領と会話

日本のナショナリズムなどというものは、たとえば英語を少しでも理解する人間がしらふで主張できるものではない。「悪口を言った」ということは、ジェノサイドとはレベルが違う。人種偏見につながる、外交的戦略のない、性差別・年齢差別を含む表現というべきである。
"Vote on Practices Fuelling Racism”(人種差別をあおる慣習についての投票)