科学における論理は、つねに単純明快である。「キャッシュを大きくすると、ヒット率が上がる」という論理にせよ、「ソートしたものを、先にしまっておくと早くなる」という論理にせよ、「リストは、探すのに時間がかかる」という論理にせよ、まさに、その論理が単純明快で、誰にも理解できるからこそ普及した概念である。ここで、キャッシュが現金のことではなく、ソートは並べ替えることで、リストは名前ではないというような前提は、はっきり提示しておかねば、キャッシュをどう分割するとか、ソート結果をどこにしまうとか、リストにインデックスをつけるとかいう議論にすることはできない。
パイプラインで言えば、「パイプラインのステージが短ければ、ステージ数を多くできる」という論理である。インテルのステージは短くてステージ数が多く、AMDのステージは長くてステージ数が少ない。このパイプラインの「理論」が、理論であるためには、その世界を提示し、その前提の上で、議論を重ねなければならない。十分な量の説明と、その意味を教授し、ようやっとその世界を美しく表示することができる