日曜日, 3月 12, 2006

大学の講義は、算数の問題集であるか、国家主導の科学研究、あるいは素朴な(作られた)科学に対する疑問に答える教養講座、という性質を持つ。コースの目的が、仕事で役立つ必要な常識でないところが、終身雇用である彼らの余裕を示している。

放送大学

(産業に)役立つ技術を開発すべきである。決して、法人や公務員のポストを増設するための技術開発であるべきではない。そして、教育機関の目的は、権威で中世社会を作ることではなく、教育、つまり情報の伝達にある。

熱力学の第一法則は、エネルギー保存。第二法則は、エントロピー増大の法則。第三法則は、ネルンストの熱定理。絶対ゼロ度でエントロピーがゼロであることをいう。熱力学でのエネルギー保存は、内部エネルギーが、仕事と熱量に変換できることをいう。熱量は、低温から高温の物体には移動しない。この現象は、熱量を温度で割った値、エントロピーという概念で説明できる。つまり、この定義でエントロピーは、高温で小さく低温で大きく、熱量は、エントロピーの増大する低温の物質に移動する。極めて低い温度で比熱は大きい。つまり、熱量が移動しない。その極限を0Kとし、そのエントロピーを0とできる。

運命論の証明を考えるより、政治を考えるほうが、民主国家では先である。

力学の第一法則は慣性の法則。第二法則は f=ma。第三法則は作用反作用の法則。

たとえば、ニホンの大学の憶測は、いくらIT産業界のそれと異なっていてもいいらしい。同じでないかというはなしもある。学生の人身売買で食っている彼らである。

日本の大学にはいくつか「教授法」がある。ひとつは、何も教えない、というものである。創造性を鍛えるのだという。もうひとつは、儀式を守らせる、というのがある。序列社会を叩き込むのだという。下手をすると、性差別を仕事の成果への批評とする人間さえいる。家族形態への差別は根深いものがあり、なにかとかこつけての嫌がらせも多い。ハラスメントは、「単なる注意の喚起」ではない。(偏見に対する)憎しみは、その持ち主の属する集団に向けられるものである。

フリーソフトの利点は、プログラマをただでこきつかえることにある。そして、すべての人間がただでこきつかえるようになれば、共産主義経済が成立する。

マイクロソフトのコンパイラのマニュアルの英語は、かなりきている。to easily accomplish this, ...というのがあった。はてには、this value determines the number of bits ..というのもある。

「とりあえず何も考えずに教科書を書いてみましょう。このように授業時間をつぶすと、税金が降ってきます。」「とりあえず何も考えずに新しい(!?)概念に基づいたプロトタイプを書いてみましょう。このように研究時間をつぶすと、税金が降ってきます。」

特定の国立大学の学生の家庭の平均年収が一千万円を超えることは、不平等社会、社会問題以外のなにものでもない。その類のエリートを集めるのは、私立の大学にすべきである。

算数の問題集を、教育勅語とすべきではない。ましてや、コーランなぞにするものではない。

いまだに国立大学のウェブページが検索されない。彼らはやる気がない。企業が大学教育をいらないと言う。学生が大学を要らないという。新聞が大学を要らないという。改革に、地元の教育委員会が問題だという。退職金がかさむという。彼らが発言すると、時代が後ろへ行くようである。後ろ向きで、マイナス思考である。彼らが、学生が減るのでポストも減る、と納得している分には、税金が減って、国民も大喜びである。国立大学制度は、学生だけでなく、教授のやる気も奪ったらしい。