水曜日, 3月 08, 2006

「米国の医者の38%、医大生の10%、NASAのエンジニアの30%、マイクロソフトのエンジニアの40%、IBMの28%、インテルの17%、ゼロックスの従業員の13%がインド人だという。」

技術者の存在する、中国など他の国のエンジニアは、英語が障害となって、インド人との競争に水をあけられているという。

インド

これらの数字は、年間収益数百億のタタ財閥のソフト会社で苦労するよりも、数兆円のマイクロソフトに協力し、あるいはアメリカで生活するほうを選ぶ人間が多いことを意味する。

インドのエンジニアが、インドで産業をつくりあげ、国として栄えることを目標としないのは、対外的にもインドという国の存在が薄く、内政においても政治が機能していないため、インド人としてのアイデンティティーを持ちにくいからだと考えられる。

自国において、コンピュータの使えない人間が多い中、インフラ整備からはじめてまず電力を供給し、初等的な教育からはじめてIT産業をつくりだすことを目指すのは、それなりの見返りが必要である。たとえば、国内での支持、宗教的、政治的、倫理的バックボーンが必要となる。

ウッタルプラデシのバラナシにおいて、爆発があったという。このような場所において、インド人としての自覚が、アメリカで働けるエンジニアとしての自覚に比べ、何らかの形で有利でありうる、ということは、よほどのことがない限りありえない。

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彼らの取った方法とは、隔離されたエリート階層というインド人コミュニティーである。このような場合、階級社会が改善されるということが、そもそもありえない。これは、コンセンサス社会の問題とは異なる。論議というものがなされない社会において、限られたコミュニティーであっても、少なくともいくらかは論議を成立させるために、社会を形成することは、まず必要なことである。

コンピュータは、とても便利である、という認識さえ、ある程度の教育的、宗教的、社会的支持がなければ、なされるものではない。