日曜日, 4月 24, 2005

できの悪いシステムにおいて、不便さを回避する小器用さを誇りとするべきではない。雑用にまみれた、不便なプログラミングに対する問題提起が必要である。エキスパートとしてのごりごりの「権威」に凝り固まったプログラマに、「初心者」を堂々とかかげる他力本願ユーザーに、その問題提起は困難である。そして、「謙虚」なユーザーには、エキスパートが何でも教えてくれる、という前提は、常に正しいとは言いがたい。

木曜日, 4月 21, 2005

「それってさ、だからさ、うん、そーだなー」というような文は、情報よりも、著者の気分を伝えるための文章である。あいまいに同意する、この人間は、議論のない、消極的な肯定の要求される、馴れ合い社会の住民である。どうしようもない状況における、どうしようもない妥協、それによって失われた理論と、鈍った感性が伝わってくる。もはや理由も問われない、習慣と伝統的価値観に満ちた、変化のない毎日と、あるいは異なる人間に対してさえも、同じ反応の返ってくる社会生活。
俗に、科学の悪用とか、統計のウソとか、いう言い方があるが、科学を政治的に利用すると、その信用性を失う。これがWiredの記事であれば、目的がはっきりしているので分かりやすいが、公正さが生命である科学的立場を強調せねばならない学会雑誌で、あまり検証されていないパラメタによる計算式と、母集団のあまりに小さい統計結果から、「結論先にありき」で、性急な結論を導くのは、政治的意図としかとらえられない。

自発的集合ライセンスは、過去にも試みがいくつかあったが、ビジネスモデルとして成功とは言いがたい現状にある。その現状を書かねば、やはり「ウソ」の類に属する。
「内輪」の、個人的な話は、学会雑誌に発表すべきではない。煽るような表現は、逆効果である。オープンソースにするかどうかは、多くのプログラマにとって重要であるので、なんの根拠もなしに、オープンソースのコードが読みやすい、などいう偏見を、学会雑誌に載せるべきではない。読みやすいコードは、よいリーダーが、人(と金)をかけたときに、実現する。

月曜日, 4月 18, 2005

基本は、やはり「OSプリインストールモデル等もご用意」「お困りな事はございませんか」「お気軽にご相談ください」でないと(NEC)話にならない。しかし、このサイトの、「男性エンジニア向け」のこの女性の顔。日本の電子メーカーの「性差別イメージ」を、効果的に印象付ける。平均給与における差別、上部組織における性差別を「匂わせて」いる。「こんな(場違いな)写真を、載せないでください」。男性だけの場ではない。
個人や、会社の投資は、かならずその効果、についての評価があるが、税金は、そのリターンを要求する人間がいない。チェック機構のない組織では、その投資について論議されない。
官庁のだす広報のようなドキュメントのついた、役にも立たないソフトの、念仏のようなソースを、仕事とする大学、果てには外郭団体には、市民生活と接点がない。税金をとられるだけである。

日曜日, 4月 17, 2005

利権がからまなければ、著作権を侵害してよいとする、現在の知的財産権、著作権に関する法律だけでは、他人の名前で記事を書いたり、検索エンジンの技術を(なんらかの政治的意図で)「盗んだり」、他人の開発した技術で(世のため人のために)知名度を上げる「オープンソース」派の人間がでてくる。どれだけ人口に膾炙しても、著作者の権利を侵害してよいものではない。

税金の無駄遣いは、また別の話である。もっとも、そのような著作権に「疎い」人間が、なぜか税金泥棒に多いのは、税金をかけて開発した技術、という意識が薄いためである。さらに、その税金を使って「民業圧迫」しないよう、税金に対するチェックがなされるべきである。

水曜日, 4月 13, 2005

There are "open-source" people who violate copyrights. And anybody would guess what happens if they do. Copyrights would not be protected. Business oriented people do protect copyrights only when it means some business -- and copyrights should go beyond. Think of it, who would buy modified books? Credibility is another issue. What of a publisher whose books, magazines, or webpages are modified to represent somebody else's opinion?

日曜日, 4月 10, 2005

中国は一党独裁であり、(⇒中国共産党大会 国民政党には程遠い)
労働争議、デモは、中国政府によって、規制されている。(⇒ アムネスティ・レポート 世界の人権 2003(中国))
デモに耳を傾ける中国政府でもない。(⇒ 台湾:反中国デモに100万人 「反国家分裂法」に抗議--台北)
そのような国における、抗日デモは、政府筋がなんと表明しようと、(⇒ 反日デモで中国大使に憂慮表明)
当局の対応には、そのデモを政治利用する意図が見え隠れする。

金曜日, 4月 08, 2005

オープンソフトを主張する人間に、著作権を守らない人間がいる。作品は、ページは、偽造してよい「サンプル」ではない。
論文に、あるいは科学的解析に、数字が必要なように、マニュアルには、説得力のある具体例が必要である。もちろん、マニュアルは、抽象的なことを論じる場ではない。マニュアルの目的は、使い方の説明である。数字で言えば、100人にそのマニュアルを読ませて、何人の人間が、どれだけの時間内に使えるか、というデータで論じねばならない。ネガティブな印象を与えるようなキーワード、「退屈な」を使うのは、プロの、エキスパートの書いたマニュアルという印象が薄くなる。もし、退屈な作業を、無理に続ける人間がいるとすれば、その人間は、それを回避するだけの能力を持ち合わせないことを意味するからである。その他の重要な要素のひとつに、「安心感を与える」という役目もある。マニュアルを書いた人間が、この製品を使っても大丈夫だ、という信頼感を与えるようでなくてはならない。
ネズミ算