金曜日, 1月 06, 2006

「学生使ってる気分」の、アカハラ大学制度が、そして、その世界に浸る人間のフィクションが、性犯罪を助長している。つまり、現実の日本の状況で、そのフィクションに類似する状況は、確かに性犯罪である。日本の性犯罪件数は、韓国と並んで多い。性犯罪の発生率がスウェーデンの4倍あるという。

警察白書

CString money=_T("tax");

PCの制限のあるアメリカの場合には、写真で偏見が表現されていることがある。差別、偏見は、「もっと質のいい人間であればそうは言わない」というようなことでは、解決されない問題である。ことに、性差別において、典型的には男性が、「平気で」差別を口にすることは、もちろん、その団体の評判を下げると同時に、その属する社会に対する、一般的には侮蔑をもたらすものである。そのことは、そのような典型例が持つモデル的イメージ、「らしい」存在によって、より深まるものである。「集団帰属意識」によって、「善意」で差別を「利用」する典型例も多い。「人としての」対応は、テストできるものではない。「試した」時点でその関係はゆがめられると認識すべきである。

税金泥棒が、有権者に原始共産制を説き、「財産」の「放棄」を求めるのは、それが「税金」だという観点に基づくものと考えられる。つまり、税金がとれるなら、プログラムを没収できるのではないか、という目論見であると考えられる。MFCを解析するほうが、Lispをインプリしたり、しかもそれを解説して授業にするより有用である。

(ある種の)マンガの原点は、「ひょっとこのお面」である。つまり、ぎょろぎょろの目をして、こっけいな顔つきをすると、村人が大笑いするというやつである。

The ACM (Association for Computing Machinery) is like teachers' association rather than a professional one. The overall goal: everything -- but the art of programming.

Reading ACM article reminds me of the university scientific and humanities alike -- papers where they fill up all those pages with nonsense. There already have been reports on their frauds. But remember -- they are paid up for it.

彼らの考え方は「科学的に」「計算できる」と思うことが多い(単なる慣習にそっている)。衝撃というのは、深さと関連性を伴うものである。たとえばこの間の選挙のように。

I might be working for something I believe in but not for an alternative to whatever they call the totalitarian doctorine.

If everything can be translated to a certain language ... hopefully they translate them and get the full meaning of it. By the fact that they have never been able to do so, one can conclude that 1. it is not practical to assume everything would be written in one language. 2. if rhythm and sound mean nothing then music loses its meaning. 3. the range of things that a word can define differs so that Japanese
speakers don't get the Stallman's joke on freedom.

プログラムのコメントは、書くならちゃんとした意味のある文書にすべきである。プログラムの直訳は、意味がない。

「普通に」プログラムを書く人間が少ないのは、「教育」か「人間」をまったく知らない人間が、権威となって、愚にもつかないマニュアルを読めなどと言い出すからである。