月曜日, 1月 23, 2006

国会において質疑応答があり、方針についての与野党の意見の交換があった。政治家の「生の声」は、それなりにインパクトがあり、選ばれた人たちの、人間のあり方には現実の重みがある。発言には「情」、「徳」などといった、特有の概念が顕著である。それらの概念が人間に作用する、その表れが、視聴者にインパクトを与えるのであろう。敵意、そして無念さ、そして何よりも利権。

国会では、法案を審議する前に、質疑応答の時間があり、野党そして与党の質問に対し、政府の代表がその質問への意見を述べる。形式的には、原稿を読み上げる質問者が、いくつもの、時には数十の質問を並べ立てる。代表者は、それにまとめて回答の、なんと原稿を読み上げる。

挑戦者である野党は、安全思考を語りながら、まったく建設的でない「反論」を「疑問」の形で、唱えているだけである。影であろうとどう表現しようと、消極的、ネガティブ、マイナス思考の発想の本質が変わるわけではない。

民主党は今回小さな政府を目指すらしい。天下りに反対し、脱労働組合ということらしい。反米は、反米であるらしい。

(天下り)ポスト設立目的の、危険、安全への取り組みは、どこの省庁の働きかけで、どのような規格をつくると、金がどのくらいかかるということを示さねば、「無駄、ムリ、ムラ」が多いそのような発案の、意味が分からなくなる。

今のメディア、国会、果てには官僚のやり方が続けば、「首相は自由と人間性を訴え、人々に希望を与えている」という感想を持たざるを得ない。つまり、「できることもある」、「ここまで、できる」「ここまで、やってみた」、そして、それと同時に「こんなにも困難である」「しかし、希望は失っていない」「まだ、できることはある」と言っているからである。建設的でない議論に誠実な対応をし、そして、その無理解にあきれ果てたような、そのような態度をとっているためである。

今後10年間で、公務員の人権費をGDP比で半減するという発言があった。しかし、(修正された)会議録が正式な記録となるという。
平成18年1月23日 (月)本会議

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